19、大日本人

【一言で言えば】
無駄遣い。
映画の無駄遣い。金の無駄遣い。ボケの無駄遣い。キャリアの無駄遣い。尺の無駄遣い。そして俺の大事な時間を無駄遣い。

【詳しく書くなら】
以前レンタルビデオ屋で、たしかこの映画の宣伝も兼ねてた気がするが、松本人志のオススメ映画コーナーみたいなのがあって、そのチョイスを見て「あーこの人、けして映画好きではないんだなー」と思った。なので、そういう目で、つまりあまり映画映画してないんだろうなーという目で観始めた。別に映画好きならわかること、というわけではないが、カメラワーク、カット割りなど基本的な造りがやはり甘いというか、できてない。ストーリーに関してはまー長いコントのようなものだと思えば別に(どーでも)いいが、映像の作り方はちょっと度し難い。

変身中のシーン以外の、大佐藤の普段の姿を追っているあの映像パートはつまりなんなのだろう。ドキュメンタリー“映画”を模しているのか、ドキュメンタリー“番組”を模しているのか。フェイクドキュメンタリーにしたいのであれば、それがどのようなメディア媒体上のものなのか想定しないとダメだろう。なぜ作られ、どう公開されるものなのか、ということを。

コンビニ(だったような)に入った大佐藤を外からカメラが追う映像では、コンビニの窓に撮影スタッフなりカメラマンなりが反射して映っててリアリティ路線なのに(この映像は嫌いじゃない)、帰宅する大佐藤を後から見送っていた映像が、いきなり歩いている大佐藤を正面から捉えるあきらかに計画された映画的なカット割だったり。公園ベンチでのインタビューも構図は固定カメラでがっちりキメて、背後の子どもたちの動きも作りこまれているのに、わざとらしく電話かかってきて「仕事なんでカメラ止めてもらえます?」とか言ったり。インタビュアーとの会話もリアリティ狙いすぎて逆にうそ臭いし、というかあの会話をノーカットでたらたら流すドキュメンタリーってなんの媒体なの?編集されてない映像でリアリティを出そうとするなら、ところどころ入る固定カメラのキメ映像はどう見たらいいの?っていう。

もしこれが5分のコントならツッコまないけど。気にならないし。

あと獣を解説する画面も、位相が違うし。映像の位相の違いをまるで意識していない。